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​profile




観相師ふかまん
 1972年 福島県出身 
親の里帰り出産の後、沖縄県那覇市で3歳まで暮らす。
生後3ヵ月での肺炎が原因で両耳を失聴する。
耳が聴こえないため、3歳で千葉県に移住。
​幼少期から、人には見えない存在を目にし、人の死や火事を予知していたため、親からは
「鬼子」と言われ恐れられ、虐待も受けて育つ。
5歳の頃、「手相」と出会う。
学校の授業や集団の会話に入れず、自然と人を「観る」習慣が身につき、相手の人相や顔の表情・仕草・歩き方・骨格すべてを観察するようになる。
また、自身の臨死体験や亡くなった人を垣間見ることで、人の生き死に考えさせられる少年期を経る。
また、手相人相だけでなく『四柱推命』『姓名判断』『タロット、エンジェルなどのカードリーディング』他、あらゆる占いを独学。後に人文科学も独学。歴史や雑学などから、先人たちの生き様を多く学ぶ。
​その後、単なる占いではなく「行動・仕草・歩き方・骨格・筆跡・服装」などありとあらゆる情報から分析しアドバイスをする「観相師」となり活躍を始める。
20代は様々な職に就き40回以上転職。また県民性を網羅するため各地を転々とする。
引越し回数は40回以上に及ぶ。あらゆる職種への造詣が深く、また県民性を熟知したカウンセリングに定評を得る。
大手企業の人事部では面接補佐として抜擢され「観相師」として活躍。
​また、歌舞伎町でも評判となる。
2008年 訪れた石垣島で知り合った女性と〝旅先結婚〟。
その後、妻の技術も取り入れ〝夫婦カウンセリング〟を始める。
2012年 活動拠点を東京に移す。
過去の転職や各地を転々とした経験をカウンセリングに活かし
個人セッションだけではなく、より多くの方々に〝観相の知識〟を知ってもらうための〝講演会〟や〝観相スクール〟を積極的に行い続け、現在に至る。


    ふかまん数
  面接を受けた回数  100回近く
  就いた職      45回
  引越しの回数    46回
  初めて手相を観た歳  5歳
  鑑定した人数    1万人以上





 


 

ピンクの花

​CoCoRoMASTERS in 観相屋

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